コテージで物寂しげな老婦人

みなさん、お疲れ様です、管理人Nです。

このタイトルを見て

「え、なになに!!なにが描かれてるの1?」

と思ったそこのあなた

このエントリには「コテージ」も「物寂しげ」も「老婦人」も

登場しない。

コテージにイメージされるような解放感のある見晴らしの良い場所も登場しないし

サスペンス映画に出てくるようなおばあちゃんも登場しない。

別にみんなを騙したいわけではない。

でもみんなは「コテージで物寂しげな老婦人」というタイトルのもとに集まった。

それがとっても大切なことなんだ

今日はそんなお話を一緒にしていこう。

好きなもの

管理人N
管理人N

僕はApple製品がすごく好きなんですよ

僕はアップル製品がすごく好きなんですよね。

あの整形されたシンプルなリンゴマーク

起動した時にハリウッド映画化のように現れるリンゴマークが不思議とかっこいい。

ただのなのに

家電量販店に行っても不思議と圧倒的な存在感で君臨するリンゴマーク

ただのなのに

僕だけだと思いますが、電車に乗っている時に相手が手に持っているiPhoneの背面のリンゴマークが見えた時に「お前もAppleの同志か」と何の得もない同胞意識を感じています。

ただのなのに

そう、あのがめちゃくちゃすごい。

と僕が常日頃感じているアップルへの愛?はこんな感じです。もちろん僕よりアップルへの愛がすごい人はたくさんいますけどねぇ(世界は広いぜ…)

これはほんの一例でしょう。

みなさんそれぞれに好きなものがあるはずです。

ジャニーズが好きな女の子もいれば、バンドにめちゃくちゃハマる大学生もいる

marvelの映画が好きな人もいる

全部おおいに結構なことです。

一回僕のApple愛に話を戻しましょう。

これは僕のAppleの正直な感想です。そしてこれは多くのAppleファンがいうことでもあります。Appleが好きな人は大抵あのリンゴマークが好きですし、家電量販店に行った時にはAppleコーナーが気になります。そしてiPhoneを使っている人を見ると

どのシリーズを使っているか気になります。

みーんなおもうところは大体こんなところです。

でも一点大事なところを見落としています。

機能的に優れた点には触れていないことです。

もう少し踏み込むと

全てAppleが好きな理由としては不十分です。

理由が全て後付けになっている

ここで今日のタイトルをもう一度確認しましょう。

「コテージで物寂しげな老婦人」

ここで大切なのは、言葉が持っているイメージ

になります。

では次はどうでしょうか?言っている意味はほとんど同じです。

「ベランダで悲しんでいるおばあちゃん」

イメージが全く変わりましたよね。

最初の方はヨーロッパの地中海の感じがしたのに

途端に日本の感じになりました。

でも伝えたいメッセージは全く同じですよね。

君の名は。を見ましたか?

あの映画の中でテーシーが三葉と名取(友達の女の子)に「カフェに行かね?」というシーンがあります。

舞台はど田舎でカフェなんてない、そこにテッシーがカフェというから

思春期の女の子は胸が躍るというシーンがあります。(実際にはカフェでなくただの自動販売機とベンチの椅子なわけですがね)

ここで大切なのは「カフェ」という言葉について回る言葉のイメージです。

もしここでテッシーがカフェでなく喫茶店という言い方をしたら反応はまた違ったはずです。

つまり彼女らにとって大切なのは

「カフェ」という言葉のイメージであったわけです。

言葉の意味より言葉のイメージの方が大切

いくつか例を出すとこんな感じになるでしょうか

  • 肌着  → インナー
  • 不思議 → ミステリー
  • 一万円札 → 諭吉

アパレル系は全般的に横文字カタカナにするとイメージがガラリと変わりますよね。

イメージを転換してビジネスにしたもの

最近ヨガをする人が増えてますよね?

今でこそ、ヨガ=健康的というイメージで定着してますが

実は一昔前までは、ヨガに対して仏教的なイメージが強く、広く一般の人がするものではなかったということ

ということをご存じでしょうか。

書いたようにヨガといえば仏教のイメージは広く浸透していました。

仏教の悟りを開くための修行みたいな位置づけです。

そこで登場したのが「yoggy」という雑誌です。

この雑誌の表紙で健康的な女性がポーズを決めて表紙を飾ることで

「ヨガをすることで健康的になる」というイメージを世に広めました。

今となってはYouTubeでもヨガを扱う動画はかなり増えました。

コロナによって人々の健康意識が高じた機会に一気に浸透したイメージがあります。

このように元々は負のイメージさえ持っていたものを好転させビジネスにさえもしてしまう例もあるあるわけです。

言葉のイメージといえどもバカにすることはできません。

ヨガは雑誌がイメージを転換することで大きな市場となった

イメージを侮ることなかれ

かといって僕たちが「イメージ」だけに踊らされているというわけではなかれ。

イメージは大きな間口になり、その後から意味付けしている

といったところでしょう。

最近はいろんなものが値上がりしてますよね?

最近行ったラーメン屋では正直に「今のままの値段じゃムリっす」と素直に窮状と述べていました。

一方こんな文句も街もみかけるものです

「より品質向上を図るため値段を見直しさせてもらいました」

管理人N
管理人N

そんな今のサービスと十分お客さんついてますやん

と毎回思います。

物の値上げある特定の店だけに起こっていることではないので

全ての店が当事者です。大小はあれど苦しいことは同じはずです。

しかし

「より品質向上を図るため値段を見直しさせてもらいました」

の方がなぜか印象が良いです。もっと美味しいものが食べられそうな気がしてきます。

現状は同じという。違うのは言い方だけ。

しかしこの小さな違いが大きな違いを生み出しているんです。

言葉によってイメージは大きく変わる

うーーーん。

書いててなおのこと

書いてて、人の言う言葉を真に受けるのは気をつけよう

という気になってきたぞ。

それが何よりも予防策になりそうだぜ…

ということできょうはここまで!

またね!

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